古本あぶらやのあぶらや日常

      ................あんまり難しいことは聞かないでください

江戸っ子の納豆を作ってみる

志ん生の食卓 美濃部美津子さんというのは、古今亭志ん生の娘さんであるので、馬生、志ん朝とは兄弟になる。このかたに「志ん生の食卓」という本があって、美濃部家で供されていた食べたものや食事風景が紹介されている。

そこで知ったのだが、志ん生が家で食べるもので、一番好きだったものは納豆であり、特に、大根おろしを入れて食べるのが好きで、そうすると「納豆の粘り気が少ぅしとれて、さっぱりとした口当たりになんのよ」と記している。

これを読んで、志ん生・馬生・志ん朝、という三名人が食べたものと同じものを食べるのも面白い。そうか大根おろしか、と膝を打ち、試してみることにした。

ところが、これがうまい具合に仕上がらない。大根おろしの量を変えながら、何度か試したが、どうもお互いのいいところを打ち消しているようで、ピンとこない味になる。市販のもので大根おろしを添えた納豆というものもあり、さっそく買ってみたが、自分で工夫したものと大差なく、どうも「さっぱり」という感じにならない。その後も思い出しては、納豆の銘柄を変えるなどして試したが、どうもこれという味になってくれず、そのままに過ぎてしまった。 

さて、「志ん生の食卓」で語られる志ん生にまつわる物語の中では、やはり日本酒についての話がいい。

美濃部家では、蔵元から特別に分けてもらったも菊正宗の特級を、懇意にしていた酒屋から仕入れていたそうである。ところが、晩年の体をこわした志ん生に、美津子さんは、父親の身体を気遣い、一ト工夫をして水で薄めたもの飲ませていた。志ん生がそのうちに「近頃の酒は水っぽくなったなぁ」と言い始め、美津子さんがとぼけていると、集金に来た酒屋のあと取りに、「近頃お前さんのところの酒は水っぽくないかい」と詰問をしてしまう。事情を知っていて返事に窮している息子さんの横で、美津子さんがあれこれ助け舟をだすのだが、このあたりは情景が見えるようでおかしい。やがて、病が重くなった志ん生に対して、美津子さんが末期の酒を含ませてやらなければいけないことになる。その時、久しぶりに水で薄めていない酒を口にした志ん生は、「ああ、旨いなあ。酒はやっぱり旨いよ」と言う。それが父と娘の最後の会話になったそうである。何やら、よくできた人情話のようだ。

 

ところで、最初の大根おろし入りの納豆だが、ある時、久しぶりに試してみた。すると、辛みが出るので極力入れないでいたおろし汁を、大根おろしと一緒に納豆の中にうっかり落としてしまった。ああ、びしょびしょだ、と思いながらそれを口にすると、「納豆の粘り気がとれて、さっぱりとした口当たり」のものに成っていた。そうか、おろし汁も入れるのか、と覚り、何度か試してみて、次のようなものに落ち着いた。納豆に付属のたれとからし(美津子さんは、お父さんは七味を入れていたと記している)を入れ、かきまぜた後、大根おろしを大匙軽く一杯、おろし汁も大匙軽く一杯で、さっとからめる。なるほど飽きのこない、特に酒の肴にいいものである。

 

あぶらやに置いてある本

 

志ん生の食卓 美濃部美津子  アスペクト  2008年刊

当店販売価格 800

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[ 2017/06/28 21:32 ] あぶらや日常 | TB(-) | CM(-)

日米に相渡るとは何の謂ぞ

 ヒューストン・アストロズの青木宣親選手が、6月11日に日米通算2000本安打を達成し,各メディアで快挙として報道された。しかし、このトピックス。あぶらやには、どうも納得ができない。最近のこの、日本からメジャーリーグに移った野球選手の実績に、日本での実績とアメリカでの実績を、合算して一つのものとしてみる。こんな荒っぽいルーラー(ものさし)が、そのまま、まかり通ってしまう風潮に、釈然としないものを感じるからである。
 イチロー選手が日米通算4257安打を打ち、ピート・ローズの安打記録を抜いたのは、去年の6月の出来事であった.。あの時、日米通算という数字が世界記録として報じられたので、燎原の火のごとく異論が湧き上がる、とあぶらやは思ったのだが、どこからもでない。ちらほらあったが、それは弱々しい小さなつぶやき程度のもので、議論を呼ぶようなことはなかった。しかし、考えてみていただきたい。イチロー選手は大リーグに行った最初の年に新人王を取ったのである。日本のマスコミはそれを褒めたたえ、リーグMVPと共に偉業として祝福をした。それが、今度は日本の記録とアメリカの記録を足してプロ野球安打数の世界記録だと騒ぐのは、どうみてもおかしいのである。もし、日米通算記録という物差しが妥当であるならば、理屈からすると、イチロー選手は新人王を返上しなければならないことになる。
 また、この物差しを使えば、日本で1999本のヒットを打って、メジャーで1本のヒットを打った選手も、青木選手と同じように扱わねばならなくなる。それではメジャーで6年間に5球団を渡り歩き、700本以上のヒットを売っている青木選手に対して、大変失礼なことではないのだろうか。野球ファンとして、彼らに払うべき敬意は、それまでのキャリアをリセットして、新天地でゼロから仕事を積み重ねて、メジャーリーグのフアンに受け入れられているということに尽きると思う。日本での記録を持ち出す必要などない。日米通算記録という鵺のようなものを持ち出すと、「この次は、日本人はイチローの高校時代の安打数まで加算するんじゃないか」とピート・ローズに揶揄されても、仕方がないのである。数字など範囲と見方を変えればどんなふうにも相手にしめすことができる。それをしない、それをやらないという限度を定めるために、良識、見識というものの力を借りる。それが文化的姿勢というものではないだろうか。そういえば、最近とんと聞かない。良識。見識。もう死語なんですかね。例えばここで、わたしの頭の中に浮かんでいる言葉は、健全な思慮、という言葉である。誰がどこで使ったか、今は思い出せないのであるが。
 第一あの騒ぎは、実際のところ、イチロー選手や青木選手のためになっているとはいえないのである。イチロー選手の2016年の成績は、6月までの打率0.341に対して、7月以降は打率0.244である。世界記録狂騒曲が本人に与えた影響は大なりと言わざるを得ない。今回の青木選手は、レギュラーが保証されていない状況で、6月12日に2000本安打を達成した後、チームは8試合を消化して、その間に青木選手の安打は3本。最近の2試合は出場なしである。青木選手が、あの騒ぎで調子を落としてしまったのではないか、といらぬ心配をしてしまう。切るときはあっさり切るのが競争の激しいメジャーリーグの世界である※1。騒いだ方は、その後のことなど興味などないのかもしれないが。
 日米通算記録など、マニアのトリビア程度の位置づけでいい。それを聞かされて、そういう見方も面白いね、と受け流すぐらいで十分である。この程度のずさんな物の考え方に対して、反論が出ない。間違っていないか、という声が上がらない。日本社会が、どんどん良い、悪いを言わない社会になっている気がして仕方がない。小林秀雄はリアリストを定義した時、「好きなものは文句なく好き、嫌いなものは文句なく嫌いだという信条のうえに知恵を築いている人だ」と書いた※2。してみると日本においてリアリストは、すでに絶えつつあるのだと言うしかない。
 そこで思い出すのは、2年ほど前、まだボストン・レッドソックスにいた上原浩治選手に、日本人記者が、今日の登板で、日米通算600試合登板ですよ、と言ってマイクを向けた時のことである。彼は、「何の興味もないですよ。別に何の報道も、されることもないでしょう」と言ってから、ハッハッハ、と笑い飛ばした。異国の地で、このリアリストは、したり顔の記者を見事に三振に切って取ったのである。

※1 さらばヤンキース 上下 ディビッド・ハルバースタム 新潮社 1996年刊
  当店販売価格 600円
 この本を読むと、メジャー選手のプライドとそれを守るための戦いがどれほどすごいものかがよくわかる。ここでは名投手メル・ギブソンの次のエピソードを紹介したい。ギブソンは下位バッターのくせに何故か自分にだけには相性のよかった選手に対して、次のシーズンの最初の打席の初球にぶつけて昏倒させ、こう怒鳴りつけたと記されている。「こののろま野郎!これまでみたいにお前に打たれるのに、うんざりしたんだ。これでもう、おまえは終わりだ」

※2 人生について  小林秀雄 中央公論社 1984年刊
  当店販売価格 150円
 野球についての文章に小林秀雄を持ち出すと、奇異に思われるかもしれないが、実は、この本の中の「スポーツ」という随筆で、第一回都市対抗戦に巨人軍の水原監督と一緒に神奈川県の鎌倉軍に参加し、台北軍とたたかったという記述があり、スキーは深田久弥に指導されたという記述もある。この高名な評論家が、スポーツと意外に太い縁で結ばれていたと知ることができる。ちなみに、書中でリアリストと評されるのは、稀代の目利き、菊池寛である。

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[ 2017/06/22 13:42 ] あぶらや日常 | TB(-) | CM(-)

刀を買う

 その刀は重ねが厚い、柾目肌のいかにも実用刀といった佇まいだった。横にいた店員から「大和の鍛冶のものだと見ています」と説明を受けた。
 「大変な口上書きがついてるけれども」と店主が言うと、店員は顔を少し渋らせて「後銘(作られた時ではなく、後から銘を刻んだもの)ですから」と言ったあと「でも、よく切れますよ」と言葉を続けた。
 どう考えてみても、佐久間盛政のような著名人の所蔵刀がお買い得品になるはずがないのである。刀を会場のライトにかざしてながら、切れるのであるならば、刀として不足はないが、かえってこの銘が刀の価値を下げているのだろう、と思った。その時、刀がきらりと瞬くように輝いた。ふと、この刀を手に入れようと思った。きっと、賢い買い物じゃないんだろうな。店主は刀身を見詰めながら、「これをお願いします」と言った。

 さて、こうしてこの刀は、あぶらやの所蔵するものになった。茎(なかご)に刻まれた銘の全文を記すと以下の通りである。

 茎表 佐久間盛政従志津嶽戦場所贈則重刀 滝川一益命鍛冶四寸上之
 茎裏 享和二 壬戌年四月御宥友諠 贈於佐久間好古 同政局両士
 
 佐久間盛政が賤ヶ岳の戦場で所持していた則重の刀であり(あるいは佐久間盛政に従って賤ヶ岳の戦場で贈られた、と読めるのかもしれない)、元は滝川一益の命により鍛冶されたものである。享和二年四月、友情をもって佐久間好古、佐久間政局両士に贈る、と解すればいいのだろうか。
 この銘で問題なのは、則重刀という部分である。もし名人則重の手による刀ということであれば、則重は鎌倉期の刀工なので、滝川一益命鍛冶という記述と時代が合わない。あぶらやでさえわかるが、かなり無茶な後銘である。
 後銘を頭から忘れて刀身を見れば、凄みを感じさせる力強さがあった。しかし、この銘では買い手はつかない。売る側としても売るのが難しい商品であるにに違いない。ところが、こういうものに弱いんだな。どこか魅かれてしまう。あわれが深こうて、よろしいなあ、というのは「鞍馬天狗のおじさんは」※1という本で、嵐寛が口にする印象的な言葉なのだけれども、たぶん「あわれ」にもランクがある。王朝絵巻の世界のあわれが一流のそれだとすれば、市井に転がっている壊れ物、まがい物のもつあわれは、二流のあわれであろう。でもそれが本当の「あわれ」ではないか、とあぶらやは思う。というか、一流のあわれが、あぶらやにはよくわからないののであるが。

 多くのの目利きたちが、抜き身の名品に三嘆している中、会場の片隅で、鞘に納められたまま、ついでのように置かれている刀がある。もし誰かから一瞥を向けられても、へっ、則重だって、と笑われて、それで終いだ。佐久間盛政従、滝川一益命、とその書き込みを読んだ人たちが呆れたような顔をして去ってゆく。わかっている、もうずいぶん長いことこんな目で見られてきた。この刀に口が利ければ、そう呟いたはずである。ところが彼は不意に鞘から引き出された。オヤ、オレヲミヨウトスル、バカモノハダレダロウ。そうして会場の光を浴びて、デハ、オレヲミロ、と刀は鈍く輝いた。それを美しいと感じた素人のバカモノが彼を選んだのである。あぁ、あわれが深こうて、よろしいなあ。そう感じながら。

 成るつもりのなかったものに成ってしまったり、置かれるはずのなかった場所に置かれてしまったり。それは人間にもある。ふと振り返った時に、なぜ自分がここにいるのか、と首をかしげながら、不本意な気持ちを抱いて道を歩き続ける。戻る余力も、別の道を選ぶ情熱も、とうの昔に失われている。

 何日かに一度、あぶらやは、縁側で刀身を布で軽くぬぐう。ひと月に一度くらい油を使って手入れをする。へそ曲がりが酔狂で、でたらめな気持ちで手に入れた刀である。しかし、この刀の照り返す光の静かな殺気な何だろう。不遇をかこった人の埋火のような本心にそれは似ている。質朴といっていい佇まいの刀身が、陽の光できらりきらりと光る。

追記、 刀は持ち主によって「ゲンバノジョウモリマサ」と名付けられた。持ち主は、庭で勝新※2や錦之助気取りで、ぶんぶん彼を振り回した。すると、あっという間に、柄糸がちぎれた。修理の依頼を受けた霜剣堂は、ぶんぶん振り回したんですかぁ、とあきれた声をあげた。柄糸師に頼んで巻いてもらうので一カ月ぐらいかかります。費用はだいたい五万円くらい見てください、と電話の向こうの声が言った。だから、もし将来、日本刀の購入を考えている人がいるのならば、こうご忠告したい。骨董品をぶんぶん振り回してはいけない。そんなことをするのは、やはりバカモノである。

あぶらやに置いてある本

※1 聞書きアラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは 嵐寛壽郎 竹中労 白川書院 1976年
  当店販売価格 1,900円 
  「たれよりも勇敢に闘こうて、たれよりも無残に裏切られてゆく、そんな人間を演じてみたいと願うておりましたんや」。こんな言葉をさらりと言う。粋で、金に執着がなくって、黙って人の面倒を見る。特に女の面倒は徹底的にみる、と書中で評される、男アラカンの一代記である。これを読むと世間の物差しの方が間違っている気がしてくるのが妙だ。快男児にもいろいろな型があると教えてもらえる一冊である。

※2 ふところ帖  子母澤寛   中央公論社 1966年発行
 当店販売価格 600円  
 幕末の剣客・侠客の逸話集だが、今でもこの本を著名なものにしているのは、10ページ足らずの短編である座頭市物語が収録されているからである。この座頭市は頑固で一徹者。居合の名人だが、絶対に人は切らない。おたねという奥さんがいて、恋女房とのやりとりは、完全に人情話である。派手な立ち回りはないが、その分だけ最後の見せ場の居合の酒徳利切りが映える。盃はけえしたよ、という言葉を残して終わる幕切れの鮮やかさ。

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[ 2017/06/15 00:54 ] あぶらやにあるもの | TB(-) | CM(-)

ゲンバノジョウモリマサ

 今回は、古本あぶらやの店内をご案内したい。
 築三〇年のプレハブ小屋の前に立つと、まず左側に「古本あぶらや」と白く表示がある腰上ガラスのサッシ扉があり、扉の横には、かって商店街のはずれにあった「東十条オデオン座」と館名が入った映画ポスター掲示板が掛かっている(元は角の電気屋さんの壁にあったものを、店主がもらってきてリメイクしてもらったものである。ちなみに、今月のポスターはビリー・ワイルダーの「シャーロック・ホームズの冒険」である)。
 店に入ってみると、左に四歩、前進して六歩で、すでに行き止まりである。三坪なのでさすがに狭い。植草甚一さん※1は、ニューヨークの本屋の床であぐらをかいて座り、本を選んで片っ端から買い込み、コンテナで日本に持ち帰つたというが、もし同様なことを誰かにこの店でされたら、もはや店は客の入れる余地がなく、札止めである。誰かいないですかね、そういうことしてくれる人。
 左に四歩進んだ場合、二台の中量棚には日本人作家の本が並んでいる。一方、前進した場合は、三台の中量棚には、手前から海外作家。二台目の棚はは写真集、海外作家の文庫、漫画、童話。そして三台目の棚はは日本人作家の文庫本が並んでいる。反対側の壁には、百円と二百円の廉価本の入った木箱が四つ置かれている。これで古本あぶらやの店内蔵書はありっきりとなる。
 店の一番奥では、幅1メートル30センチほどのカウンターの向こうで、スツールに腰かけた店主が、めったに来ないお客さんを待っている。店主の頭の上には神棚がある。お守りの五銭玉がタコ糸でぶら下がっているその神棚には、母屋の神棚から移した金毘羅様と小さなモノラルラジオと一振りの日本刀が置かれている。
 さて、今回触れようと思っている二尺二寸余りのこの刀は、刀屋の見立てによると、時代は室町、大和の鍛冶の作だという。それがあぶらやの店主の手に収まったのは次のような経緯による。
 ある時、店主が近所の人のお弔いに行ったときに、冥界に逝った人の胸に小刀が置かれていた。それ以来、そんなに高直でなければ、守刀の一つはあったほうがいいな、と考えていたところ、ふと、刀剣即売会の新聞広告が目に入った。場所は神宮の霜剣堂とある。
 正月明け、その霜剣堂の即売会で、種々の業物を見ながら、店主がその店の人に聞いたところ、それまでそういった消息には不案内であったのだが、日本刀を所持するには、すでに店にあるものは登録書が東京都教育委員会に提出されているので、買った時の手間は、所有者の変更通知のハガキを出すだけだという。一般の人ならば、まず不許可になることはないそうである。日本刀を所持する場合、身元確認など厳しく行われるのではないかと想像していたので、ちょっと店主は驚いた。そう知ると、じかに触れた日本刀の美しさに魅了された店主は、一振りどうしても欲しくなった。
 半年後の節句の頃、店主はある程度のものを用意してあらためて店を訪ねたが、何といっても販売価格が万札4桁、3桁が普通の世界である。店主は名人名工の逸品に付けられた値札に溜息をつくばかりだった。そんな中、会場の一角に、お買い得品コーナーのような場所があって、二十振り程の刀剣が並べてあった。
 その中の黒鞘、赤い下げ緒の日本刀に、あぶらやの目が吸い寄せられた。刀には銃砲刀剣類登録書が添えられていた。銘文の欄に曰く「佐久間盛政従志津嶽戦場所贈」その後には「滝川一益命鍛冶四寸上之」
 なんだ、この来歴は、と店主は驚愕した。佐久間盛政といえば「妖説太閤記」※2や「新史太閤記」などで印象的に描かれた賤ヶ岳の勇将である。これがあぶらやとその守刀「ゲンバノジョウモリマサ」との出会いであった、とここで文字の予定数が過ぎた、以下次週。


あぶらやに置いてある本

※1 植草甚一スクラップブック6 僕の読書法 植草甚一 晶文社 1976年発行
  当店販売価格 950円  
 この本の中に、次のような記述がある。終戦直後,早稲田界隈の古本街に行くと、この斯界の巨人は「鉛筆と消しゴムを右ポケットにいれて」「見当はずれな値段が間違ってついているようなとき、しかたなしに(消しゴムで消して、新たに鉛筆書きで、8円を)7円としなければならなかった」。しかたなしに、というある種の蟻走感がやはり並ではない。荒俣宏さんに言わせると、これは「本を突き抜ける」ための魔法の修練ということである。

※2 妖説太閤記(文庫)  山田風太郎  講談社  1978年発行
  当店販売価格 上下巻セット 1,500円
 最後に秀吉の眼に浮かぶ、鬼哭啾々たる情景に至るまでを一気に読ませるこの小説の中で、佐久間盛政は、引き回しの車上にあって、女たちによって小袖や花が投げ入れられる中、太閤を嘲笑しつつ刑場に去ってゆく。あたかも花道を行くが如くの千両役者ぶりが鮮やかな印象を残す。店にあるのは、店主が初めて読んだ横尾忠則カバーデザインのもの。

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[ 2017/06/07 22:13 ] あぶらやにあるもの | TB(-) | CM(-)

古本屋を開店する

この店のある東京都北区神谷という場所をご存じだろうか。

その名の通り、東京の北側の位置にあって、大雑把にいえば、酔っ払いしかいないと世間からは思われている赤羽と、激安商店街のある十条に挟まれた町である。わが家の改製原戸籍などを見ると、このあたりは、かっては東京市王子区神谷。それより前は、東京府北豊島郡岩淵町大字神谷となっており、北区という行政区分が誕生したのは昭和七年のことだそうだ。

さらにさかのぼって、二本差しのむかし、岩渕町大字神谷村とは、どんなところであったであろうか。店主は例えば、次のような情景を想像している。江戸処払いの咎人が板橋宿の大木戸の外へ、蹴飛ばされて、放逐される。「戻っちゃならねえぞ、この三下野郎め!」。蹴飛ばされた三下は、とぼとぼ歩いて、歩き疲れて神谷村にたどり着いて、隅田川の川っぺりでため息をつく。「あぁ、どん詰まりまで来ちまった」 

 

隅田川沿いの町と言えば、真山青果の戯曲「将軍江戸を去る」※1では、最後の将軍徳川慶喜公が、千住大橋の橋板を一歩踏む、近侍する山岡鉄太郎は「上様、それが江戸の最果てでござります」と泣き伏す。「そのおみ足の御一歩が、江戸の地の限りなのでござりまする」。そうして、忠臣山岡鉄舟は大泣きに泣く。

 千住大橋が江戸の地の限りであるなら、神谷村も同じ江戸の地の限りであったといえるだろう。しかも、店の横の宮掘り交差点あたりは、以前は「宮掘りの渡し」と呼ばれていた場所である。向こう岸に行くためには、渡し船に頼るしかなかった。橋がないのだから、もちろん踏みしめる橋板もなかった。つまり、ここは千住に比べて、さらに「最果て」の感慨を人々に想起させた場所であったに違いない。ため息をつく三下の憂鬱も、千住あたりで蹴飛ばされるより、ずっとずっと深かったことだろう。

 

古本あぶらやは、そういったかつての江戸の最果ての一角にある三坪の小さな古本屋である。敷地の作りは一風変わっている。昔、この辺りはよく水が出た。そのため、盛土した上に蔵や家が建てられた。このような作りを「水塚」といった。浮間あたりではまだ何軒かあるが、このあたりでは、もうほとんど見られない。そんな時代に置き忘れられたような水塚にこの店はある。その一方で、物珍しいのは結構だけれども、土地が盛り上がっている分だけ、かえって店に客が入りにくいという声もある。

平成二十九年五月にこの店はオープンした。店は一週間に二日しか開かず、本棚は五つで、最近の本はなく、古びた本ばかりで、といっても希少本はなく、建物は十一ミリ左に傾いている。そして、お客さんの来店は暁天の星の如くまれである。

揃えている本はだいだい千と百冊。ざっと記すと、あ行で一番多いのが、池波正太郎と内田百閒と岡本綺堂。か行で一番多いのが、小島直紀と小林信彦。さ行で一番多いのが司馬遼太郎、獅子文六。な行では中野好夫。や行では山口瞳。海外の物は八〇年代までのSFや探偵小説が多い。多いといっても、全部で千冊程度なので、たかが知れている。写真集、マンガ本は少ない。自分のところで売ったものに関しては買取をするが、それ以外の買い取りはおこなっていない。

その小さな店の奥で、たいてい店主は、ボーとしているか、本を開いている。今日でいえば、グラシン紙のカバーを掛け終わった「プロ野球 野村克也の目 構成川村二郎」※2を熱心に読みふけっている。

店の営業は、先に記したように週に二度、土曜日と日曜日の昼から夕方までである。何分、店主には本業があり、平日はそちらにかかわっているため、そのようなことになっている。決して店主にやる気がないからではない。

だいたい午後六時になると、店は閉店になる。店主は「なかなか商売っていうものも難しいものだ。こりゃ、そろばんが取れんわい」と思いながら、五合徳利を出し飲み始める。

この店がいつまで続くか、その行く末は誰にも分からない。

 

 

あぶらやに置いてある本

 

※1真山青果傑作選3 北洋社 1979年発行

当店販売価格 1,700円  

償金四十万弗 / 首斬代千両 / 将軍江戸を去る / 頼朝の死 収録

収録作品中では「償金四十万弗」が圧巻である。生麦事件の首謀者が薩摩藩士であると認めたくない大久保利通は、一計をめぐらして、寺田屋騒動の落伍者、岡野新介を下手人として幕府に届ける。ところが新介は、やがて大久保をゆするようになり、事件の当事者として京の都で虚名を売るようになる。実は彼は事件のある秘密を握っていた。自他ともに傷つける怪物と化す新介がじわじわと怖く哀しい。結末が、山中貞雄の名作「人情紙風船」と似ているのがおもしろい。

 

※2 プロ野球 野村克也の目 構成 川村二郎 朝日新聞社 1983年発行   

当店販売価格 250

広岡西武と近藤中日とで日本シリーズが行われた昭和五十七年のプロ野球コラム集。もう一度現場でやりたくてギラギラしている野村克也は、今よりもっとエッジが効いていて楽しい。このシリーズは構成担当者が何人か変わっているが、店主はこの野村・川村コンビが一番好きだ。「掛布に山本浩二の頭と目があれば三冠王」っていうコラムのタイトルなんか、今ならたぶんNGだろう。

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[ 2017/05/31 22:58 ] 開店に寄せて | TB(-) | CM(-)